世界を導く使命を、日本はすでに持っている
ピーター・ドラッカーは「すでに起こった未来」第11章で、日本画を通して日本社会の特質を読み解こうとしました。日本画には強い自己主張がなく、余白が大きく、視点が一点に固定されず、全体の気配が静かに漂っています。描かれていない部分が景色を生み、輪郭ではなく関係が場を成立させる。ドラッカーはこの表現形式に、日本人が長い時間をかけて育んできた、全体性と調和を大切にする精神を見出しました。それは欧米的な個の突出とは異なる、独自の価値観を示しています。
私は、現代社会の荒廃の要因として、この価値観が失われつつあること、そしてその背景に理性偏重があると考えています。啓蒙思想以来、理性は「世界を分解して理解する力」として高く評価されてきました。しかしその過程で、人は自分と他者を明確に切り分け、競争、対立、格差、孤立へと向かいやすくなりました。理性は秩序を記述する力ですが、同時に世界を細分化し、関係性を感じ取る力を弱めてしまうことがあります。
一方、この宇宙は創発によって発展してきました。関係が先にあり、個はその結び目として生まれる。海がお魚を生むという比喩が示すように、存在は全体の働きの中で立ち上がるものです。ドラッカーが日本画に見たものも、この創発的原理に響き合う感覚でした。余白が意味を生み、部分は全体の流れの中で息づく。日本人は、この感受性を潜在的に共有してきた民族だといえます。
だから日本では、全体が幸福でなければ個も幸福ではないと感じます。欧米では、周囲がどうであれ、自分が幸福なら幸福と考える。しかし日本人は、周囲と切り離された幸福を本能的に信じない。全体が濁れば自分も濁る。全体が澄めば自分も澄む。このあり方を「幸福感が低い」と否定的に語る風潮がありますが、私はむしろ希望だと感じています。
なぜなら、個の幸福は全体への貢献によって必ず還元されるからです。この循環を理解している民族は稀です。日本人は、自らのこの性質に誇りを持つべきです。そして、この価値観を世界に伝える役割があります。ドラッカーは、日本を「未来を先取りした社会」と呼びました。私は、その未来とは、理性を越えて感性が世界を導く時代だと考えています。今、世界はその転換点にあります。そうならなければ、人類は成熟せず、平和も豊かさも実現しないでしょう。
日本こそ、その道筋を示すリーダーになるべきです。






