これから私たちに求められる「自分なりの哲学」
今まで企業というのは、属人化を防ぎ標準化に力を入れてきた。つまり、特定人物のスキルに依存することなく、誰がその仕事に就いても一定のクオリティーが保てるよう、仕事内容をできるだけマニュアル化してきた。もちろんそれは、今後も大切なことであることに変わりない。しかし、マニュアル化できる仕事というのは、人工知能にもできる可能性が高いということになる。
今後、少子高齢化が進み、深刻な人手不足になったとしても、人工知能にもできる仕事は、おそらく人間に回ってくることはないだろう。人工知能は間違えないし疲れないし、コストも安いからだ。実際、3つの大きな銀行で何万人にも及ぶ大規模なリストラがはじまっている。これほど人手不足が騒がれていてもだ。
これからは、マニュアル化できる仕事は減っていき、私たちには、人間しかできない仕事をすることが求められるようになる。つまり、これまでとは逆の「標準化から属人化へ」の流れが始まっているということだ。
そのためには、理性や論理よりも、感性や情緒を大切にしていく必要があることは多くの人が理解していると思う。それに加えて、私たち一人ひとりに、自分なりの哲学がなければならないと感じているので、そのことについて少し書いてみたいと思う。
哲学という言葉を使ったが、その表現が適切かどうかはわからない。言いたいのは、自分なりの基準に基づいて判断をすることが大切ということ。
たとえば常識がこうだからこうすべきだとか、法律に反するからこうすべきだとか、そういう外側の基準で判断をしていくのではなく、自分なりの基準に基づいて判断することが大切だ。なぜなら、それこそ人工知能の出す答えに似てしまうからだ。
誰もが人工知能の出す答えと同じ行動をとったらどうなるか。企業であれば「戦略のコモディティー化」が起きる。つまり、どの企業も同じ戦略をとるので競争が激しくなり、働く人は疲弊し、収益も減少する。それどころか、その企業がその企業でなければならない理由が消滅する。
そうならないためには、「自分はこういう生き方がしたい」というような哲学を持ち、そこを軸に判断していくことだ。これは極端な例かもしれないが、顧客の要望だって聞く必要はない。もちろん最終的には顧客にとって役立つものを提供しなければならないことは当然だが、顧客から広く情報収集を行い、そのデータを元に論理分析し答えを出すことは、人間より人工知能のほうが遥かに得意だ。
それに、そもそも人工知能の出す答えは現在の延長線上にあるものだ。その通りにすれば一定の成果はあるだろうが、大切なことは、顧客は自分の欲しいものが自分でもわからないということ。つまり、馬で走ることが当たり前の時代に「自動車が欲しい」とは答えられない。
自分なりの哲学を持つことは、経営者に対しては、ずっと前から求められていたことだった。それがこれからは、人工知能の発展に伴い、個人個人にも求められるようになっていく。
そして構成員のそれぞれが、自分の個性を発揮しながらもベクトルを合わせ、その企業独自のハーモニーを生み出していく。私たちには今、そういう組織のあり方が求められているのだと思う。