閲覧記事記事一覧へ

ワクチンについて思うこと


よく薬局で抗生物質をもらうと、「必ず最後まで飲み切ってください」と言われますよね。それはなぜかと言うと、細菌が耐性を獲得してしまうからだと思います。

途中で飲むのをやめると、体に残った細菌が薬に慣れて、どんどん強くなっていってしまい、次に同じ抗生物質を飲んでも効かなってしまう。なので、中途半端に飲むことは、細菌に対して耐性獲得のチャンスを自ら与えてしまうことになるのだと思います。

実際、抗生物質の開発は、細菌の耐性獲得との戦いで、いたちごっこを繰り返しています。開発しても細菌はすぐに耐性を獲得してしまい、薬が効かなくなるという現象が起きているようです。実はこれと同じことが起きているのが、デルタ株による新規感染者急増なのではないかと私は思ったりしています。

最近、「デルタ株の出現により、集団免疫の獲得は不可能」といった報道を聞くようになりましたね。これはもしかしたら、ワクチンの普及スピードよりも、ウイルスの進化スピードのほうが上回ってしまったからなのかも知れないなあと。

ワクチンの接種が始まったころ、これで集団免疫が獲得できると期待しました。でも、ワクチンの接種は一気には進まないので、その間にウイルスが耐性を獲得してしまい、それで集団免疫獲得が困難となってしまったのではないか。

そうだとすると、もしワクチン接種を普及させるなら、できるだけ世界同時に短期間で一気に接種するべきなのかも知れません。最も良くないのは、中途半端になってしまうことだと思います。それは抗生物質と同様で、ウイルスに進化のチャンスを与えてしまうからです。

ウイルスは本来、弱毒化する傾向があると以前どこかで聞いたことがあります。ウイルスは単体では増殖できません。だから宿主を必要とします。宿主が死んでしまえば自分も死んでしまうので、共存するために本来は弱毒化していくらしいのです。しかし中途半端にワクチンを普及させてしまうと、本来は弱毒化するはずが、逆に強くしてしまう可能性がある。

私は、人間にとって病気とは、体の不調を知らせるサインであると思っているのですが、それと同じで、このコロナの感染拡大は、人類全体の不調を知らせるサインだと思っています。人類というのは、それぞれがバラバラのように見えても、実は全体で一つの生命体だと思うからです。なので、コロナは人類にとって「敵」というよりは「味方」と考えたほうがいい。敵という見方をすると、かえって事態を悪化させてしまいます。

そして、視点を少し高めて、「人類にとってコロナはどんな意味があるのか」ということも考えないといけないと思います。私が思うに、人類はできるだけはやく人や国のあいだの境界線をなくさないといけない。人類が一丸となってこのコロナに対応していかないと、解決は困難なのではないかと思います。1年以上前にもこのようなことをどこかに書きましたが、デルタ株を機会にその気持ちが一層高まっています。


関連記事

2019年04月07日(日)

新元号「令和」によせて

私は、最近の世界情勢を俯瞰的に見てみると、グローバリズムから反グローバリズムの方向にゆっくりと動いているのではないかと感じています。

続きを読む
2014年03月31日(月)

和して同ぜず

私は社員にセミナーに行ってもらうとき、いつも社員にお願いすることがあります。それは、自分の考えはこうだという主体性を持って聴いてほしいということです。もちろん…

続きを読む
2014年06月04日(水)

絶対世界と相対世界

「1つの事象には相対的な2つ以上の側面が内包されている」という話を以前しました。(記事:腑に落ちることと、理について参照)。この考え方が、これからの時代にいか…

続きを読む
2018年01月03日(水)

悟りに向かう人類

最近、人類が悟りに向かっているということを実感している。たとえば、昨年は「サピエンス全史」という本が人気になった。そこには、人類が地球上の覇者になれた理由は...

続きを読む
2014年05月08日(木)

人に与えるとクオリティが上がる

なんの仕事であれ、その内容を掘り下げてゆくと「人が人に価値ある何かを与え合う」というシンプルな行いであることに気がつきます。自分ではない人が関わるからこそ、逃…

続きを読む