ソニーの井深大さんの言葉と記号接地問題
先日、「ChatGPTがなぜバカになるのか」という書き込みをしたのですが、それを解決するにはどうしたらいいかを考えていたら(私が考えても意味はないけれど)、ソニーの井深さんの言葉を思い出しました。井深さんは下記のような気になる言葉を残しています。
私の考えるパラダイムってのは一体何であるか。現在、モノを中心とした科学が万能になっているわけですね。これはデカルトとニュートンが築き上げた『科学的』という言葉にすべての世界の人が、それにまんまと騙されて進んできたわけなんです。
それはどういうことかと言いますと、「デカルトがモノと心というのは二元的で両方独立するんだ」という表現をしている。これを話していたら1時間くらいかかるから、このぐらいにしておきますけど、モノと心と、あるいは人間と心というのは表裏一体である、というのが自然の姿だと思うんですよね。
私たちは、存在というものが人間の認識とは無関係に存在すると考えがちです。でも実際はそうではないかも知れません。私たちが見ている世界は、脳で処理した結果であって、真実の姿ではない。脳で処理する前の世界と、脳で処理した後の世界では大きく異なるはずです。なのに私たちは、脳で処理した結果が真実だと思い込んでいます。井深さんの言葉を借りれば、デカルトとニュートンにまんまと騙されているわけです。存在というのは認識が働いて初めて存在として成立します。だから存在と認識、すなわち、モノと心は表裏一体である。そういうことを井深さんは言いたかったのだと思います。
その「モノと心は表裏一体」という考え方を取り入れれば、きっと量子力学における観測問題、つまり、観測をすると実験結果が変わるという難解な問題についても理解が進むと思いますし、そうだとすれば、万物の理論(統一場理論)の完成にも一歩近づけることができる気がします。
そして、ここで私が思い浮かべたのが、人工知能の「記号接地問題」です。人工知能の最大の難問とも言われている問題です。今話題の ChatGPT もこの問題は解決されていません。記号接地とは「言葉と身体感覚や経験とを繋げること」を意味します。よく例に出されるのが「シマウマ」です。人間は「シマ模様のある馬」という説明を聞けば、初めてシマウマを見た人でも「これがシマウマだ」と理解できますが、AIにとっては、単なる言葉(記号)の羅列に過ぎず、現実世界におけるシマウマとを結びつけることができません。
この問題を解決するためには、「モノと心は表裏一体」という考え方を適用するしかないと私は直感しました。自分でも上手く説明できないのですが、それを解決するには「意識」というものを作らざるを得なくなり、そうすると、私たちが現実世界と思い込んでいる「脳が創り出した世界」を再現しないといけなくなります。それはまさに、「モノと心は表裏一体」という考えを取り入れることだと思います。そうしない限りは、さきほどの「シマ模様のある馬」をイメージすることができません。つまり、シマ模様を馬に貼り付けるという、デザインや編集といった「操作」ができません。
井深さんは「モノと心が表裏一体であることを考慮することが近代の科学のパラダイムを打ち破る一番大きなキーになる」とおっしゃいました。私はその意味が分かる気がします。私たちは今まで、意識の内側で起きていることを、意識の外側で起きていると思い込んできました。そして、客観とは「大多数の主観」であるにも関わらず、絶対客観だと思い込んできました。ですがこれからは、モノと心を統合していくような考え方をしていかなければこの先行き詰ってしまうし、パラダイムを打ち破ることもできない。井深さんの指摘について真剣に取り組むときが、すぐそこまで迫ってきている気がしました。
参考:ソニー創業者・井深大が2400人の幹部に発したパラダイムシフトという遺言