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年頭にあたり ~わかって生きるために~

私は今、人々が本当に求めているものは「意味」なのではないかと感じています。便利さでも、豊かさでも、効率でもない。それらを手に入れた先で、私たちは次に何を支えに生きればいいのか、その答えを探しているように見えます。

振り返れば、私たちの社会は長いあいだ「貧しさからの脱却」という側面を強く持ちながら進んできました。貧しいことは苦しいことではあるのですが、それが生きる「意味」としての役割も果たしていました。生き延びるために働く。家族を守るために動く。その行為そのものが、疑いようのない意味を持っていたのだと思います。

しかし、ある程度その目標が達成された社会では、生きること自体が前提になります。その瞬間、「なぜ生きるのか」という問いだけが、取り残されるのです。物質的には満たされているのに、どこか空虚さが残るのは、その問いに答えを持たないまま日々を過ごしているからではないでしょうか。

これまでの社会は、この問いに正面から向き合うことをあまりしてきませんでした。理性を重視し、測れるもの、説明できるもの、再現できるものを価値の中心に据えてきたからです。その結果、意識や感覚、直感、意味といった数値にならないものは、扱いにくい存在として脇に置かれてきました。

しかし、それらは存在しないわけではありません。むしろ、人が何を選び、何に心を動かされ、何に価値を感じるかは、そうした領域によって決定されています。それを「測れない」という理由だけで切り捨ててきたとしたら、それは合理的というより、乱暴な態度だったのではないかと私は思うのです。

理性だけで捉えられた世界では、人間は物質となり、できごとはすべて物理現象や化学反応として説明されます。それは正しい側面もありますが、その世界観だけでは、「人はなぜ生きるのか」「この世界は何なのか」という根源的な問いに答えを与えることはできません。そのままでは、私たちは意味を持たないまま「とりあえず生きる」しかなくなってしまいます。

意味のない合理性は、人を長く動かし続けることができません。やがて生きるエネルギーは枯渇します。だからこそ今、感性があらためて重要になっているのだと思います。感性とは、世界を意味あるものとして受け取る力です。出来事に意味を与え、行為に納得を与え、生きることそのものを内側から支える力です。

これからの時代に求められているのは、理性か感性かを選ぶことではないと思います。その両方を結びつけることなのだと思います。現実を見据えながら、本質を見失わないこと。合理性を保ちながら、意味を手放さないこと。その橋渡しをする人や考え方が、これから少しずつ現れていくのではないでしょうか。

年の始まりにあたり、私はそのような変化の兆しを感じています。本質と現実、理性と感性が再び結びつくとき、私たちは「わかって生きる」ことができ、しっかりとした土台の上を歩んでいけるのだと思います。

※写真は、年末に出かけた神奈川県真鶴町の「三ツ石」です。


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