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コロナ危機は人類にとってどんな意味があるのか

「クールー病」という病気を知っているだろうか。

これは人間が人間の肉を食べると発症する病気で、罹患すると、脳細胞がスポンジのようなスカスカの状態になり、死んでしまうと言われている。「狂牛病」も同じ原理だと私は解釈している。牛が牛を食べると、同様の症状で死んでしまうのだ。

ところで、この「クールー病」という病気は、なぜ生まれたのか。

私はそれは、人類が自ら生み出した病気だと思っている。もし人間同士が互いの肉を食い合うようなことをしていたら、私たち人類はどうなっていただろうか。おそらく、今日のような人類社会は成立しなかっただろうし、それどころか、絶滅していたかも知れない。

だからこそ人類は、その病気を自ら作りだし、絶滅を防いできたのではないだろうか。私たちが動物の肉なら何でも食べるのに、人間の肉だけは食べることをしないのは、そのことを本能的に知っているからだ。

実は今起きている「コロナ危機」は、それと同じ原理だと私は思う。

つまり、人類が自ら「クールー病」を生み出し、人類の絶滅を防いだように、コロナ危機も、何らかの意味があって、人類自らこの病気を生み出したのではないか。

だとすれば、このコロナ危機は人類にとってどういう意味があるのか。それを理解することがこのコロナ危機を解決するキーになる。

このウィルスが化学兵器として作られたのか、あるいは、自然発生的に生まれたのか、それはどちらでも構わない。そういう状況を作ったのは、いずれにしろ人間なのだから。

ところで多くの人は、病気は人間にとって敵であり、征服すべき相手であるという態度をとりがちだ。これは私たちが、無意識にあらゆる対象を「分離」して理解しているためだ。自分と対象との間に境界線を敷き、分離させ、それぞれに敵と味方というレッテルを貼ってしまう。

しかしその精神は、古来の日本的思想からすれば間違いだ。日本は「八百万(やおろず)の神」というように、あらゆるものを神とし、人間はその一部として調和しながら生きてきた。

その精神に則れば、病気は体の不調を示すサインであり、決して敵ではない。むしろ、自分の体を守ってくれるための「味方」なのだ。

だから、このコロナの世界的な感染拡大は、この人類社会の不調を示すためのサインである。人類の未来にとって、敵ではなく味方と考えたほうがいい。

では、このコロナの感染拡大は、人類にとって一体どんな意味があるのか。それは私が思うに、人や国のあいだの境界線をなくすこと。それに尽きる。

世界には今、グローバルな協力を通してしか解決のしようのない難題がいくつもある。今回のような疫病や、核戦争、気候変動がそうだ。こうした世界を大混乱に招きかねない難題に対処していくには、人類が国境を越えてひとつに繋がり、一体とならなければ解決することはできない。

いまや世界はシームレスにつながっており、以前のように各国がバラバラに活動しているわけではない。ここまで経済がグローバル化し、移動手段も発達し、インターネットが普及したこの時代に、自国の利益ばかりを追求していても意味がないのだ。今こそ、人類が一丸となって平和で幸福な社会を目指す時が来ている。コロナ収束後の社会に生き残ることができる者は、きっとそれができる人や企業や国であろう。

人や国のあいだの境界線を突破し、対立を超えて、ひとつに繋がった人類になること。それが、今回のコロナ危機が人類に与えた意味だと私は思う。

これを書いているときに偶然だが、「アポロ8号が撮った『地球の出』」という映像がタイムラインに流れてきた。下にリンクしておくのでよかったら見てください。私たち人類がひとつであることを、教えてくれているような映像です。

https://www.facebook.com/brutjapan/videos/308956890081516/


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