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世界の究極の支配者は誰か

私は時々、この世界を支配している究極の存在は誰なのか、世界の頂点に立つものは何なのか、そんなことを考えることがあります。しかし、その問いを突き詰めていった先に何があるのかを考えると、結局のところ、それ自体はあまり意味のある問いではないのかもしれない、と思うようになりました。

なぜなら、私たちが「世界の支配構造」と呼んでいるものは、実は私たち自身の精神構造そのものではないか、と感じるからです。仮に、どこかに究極の支配者が存在し、その者が自分の思うままに人々を支配しているとします。私たちはその存在を非難し、叩き潰し、排除しようとするでしょう。しかし、そのときに働いている私たちの精神は、支配者の精神と本質的に同じではないでしょうか。自分の正しさを掲げ、相手を否定し、排除する。その構造自体が、すでに支配の論理だからです。

そもそも、善悪というものは絶対的に存在しているのでしょうか。私はそうは思いません。善悪とは、あらかじめ世界に備わっているものではなく、それぞれの人の認識の中に生まれるものです。世界はただ在るだけであり、そこに善悪の意味づけをしているのは、私たち一人ひとりの認識作用です。経験や知識、積み上げてきた判断基準、生まれながらに持っている性質、そうしたものがフィルターとなって、「ただ在るもの」を見ています。

その意味で、私たちは基本的に錯覚の中で生きています。自分の認識作用が生み出した世界を、あたかもそれが唯一の現実であるかのように信じて生きている。しかし、だからといって、この社会の支配構造をそのまま放置してよい、という話にはなりません。私が言いたいのは、支配者を批判し、排除すれば問題が解決する、という単純な話ではないということです。精神構造が変わらないかぎり、支配者を入れ替えただけで、同じ構造が何度でも繰り返されるからです。

では、何を変えなければならないのか。それは、私たちの認識作用そのものです。これは「観点」と言い換えてもよいでしょう。その観点を通して見た世界こそが、それぞれの人間にとっての宇宙です。観点が変わらないかぎり、世界も変わらない。この観点を健康にすることこそが、究極の解決なのだと私は考えています。

ここで、いつも私が話している「感性と理性」の問題が浮かび上がってきます。現代社会では、多くの人が世界を「理性」というフィルターを通して見ています。理性は世界を対象化し、自分と世界を切り離します。その結果、自分以外のものはすべて外部の存在となり、ときに敵として認識されます。自分を守るために、相手を批判し、攻撃するという態度が自然に生まれてしまうのです。

理性は、近代の科学や技術を生み出し、社会に安定と繁栄をもたらしました。私たちは間違いなく、その恩恵の中で生きています。しかし、理性が過度に強くなると、世界は「感じるもの」ではなく「操作するもの」へと変わっていきます。自然は支配の対象となり、他者は分析の対象となり、あらゆるものが数値化されて把握される。その過程で、数値化できないものはノイズとみなされ、世界は少しずつ体温を失っていきます。

生命の息づかいも、人と人とのあいだに流れていたやわらかな気配も、理性の冷たい光の中で見えなくなっていく。私たちは、過去の反省から、こうした理性的なものの見方を少しずつ是正していく必要があるのだと思います。

一方で、感性を軸に世界を感じるあり方があります。このあり方では、「すべてはひとつである」と感じ取ることが大切にされます。自然や他者を自分の延長として感じ取り、「理解する」よりも「共鳴する」ことが選ばれる。世界は切り分けて把握するものではなく、つながりとして感じ取るものだという感覚です。ここでは、正しいか間違っているかではなく、「響くかどうか」が基準になります。

理性が縦の秩序をつくるなら、感性は横のつながりをつくる。縦の秩序は効率と安定をもたらしましたが、それだけでは世界は硬直していく。これからの時代に本当に求められているのは、支配による秩序ではなく、共鳴によって自然に立ち上がる横の秩序なのではないかと、私は思っています。

世界を変えるために、誰かを倒す必要はありません。支配構造の外側に敵を探すのではなく、私たち自身の観点を見つめ直すこと。その観点が健康であれば、世界の見え方は自然に変わっていく。究極の平和と豊かさは、外側の構造を力で変えることではなく、私たち一人ひとりの認識のあり方が静かに変わるところから始まるのだと、私は考えています。


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