お金に支配されてしまう心
お金というのは、価値と価値を交換するための仲介として人間が作った「道具」です。ちなみに、交換する価値というのはサービスであったり製品であったり技術であったり自然資源であったりと様々なものがあげられます。しかし、このお金というものはその特性から「道具に逆に支配されてしまう」という事態も招いてしまうものです。
最近になって「お金なんていらない」というような記事を、以前にも増して多く見かけるようになりました。「お金に支配されている」と感じている人々がその抵抗心として、支配されないようにするために「こんものなくしてしまえばいい」と言わんばかりに否定しているのかもしれません。しかしお金に限らず、それそのものをなくしたとしても、それに変わる手段や道具がすぐに生まれ、結局は何も変わらないのではないかと私は思います。
ユネスコ憲章の冒頭に、次のような文章があります。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
http://www.unesco.or.jp/sanda/kensho/
これは戦争についての文章ですが、お金やその他の道具に関しても同じことが言えると思います。それそのものを否定して、なくそうとすることよりも、この憲章で述べられているように、それを扱う人の心を変えることのほうが大切ではないかと私は思うのです。たとえば、資本家がお金をチラつかせてきても、それになびかない心をつくることが大切です。その心をつくるには「好きなこと、得意なこと」を仕事にすることです。お金は道具と言えど社会の中では強力な支配力を持っているものです。それよりも大切にしたい判断基準を自分の中に持つには、心から「やりたい」と思える仕事に就くことが大切です。
これまで仕事というのは、力を持つ者に支配されて半ば強制的に働かされてきたために、どうしても労働の目的を「お金」と割り切らざるを得ませんでした。しかしこれからは「好きなこと、得意なこと」を仕事にすることで、働くことの目的がお金ではなく、社会や企業への「貢献」に変わります。そういう生き方ができる時代になったのです。このままお金に振り回されて過ごしてしまっては、「馬の鼻先に人参」のような人生を送ることになるでしょう。
お金は人間の可能性を引き出すための価値交換の道具に過ぎません。その意味をより多くの人が感じられるようになったら、その支配から開放され自ずと「お金なんていらない」などとは思わなくなり、ようやくお金が本来持っている道具としての価値を社会貢献のために活用できるようになるのかもしれません。