アイデアの源泉
良いアイデアや斬新な発想力は仕事をしてゆく上で言うまでもなく大切なものです。この社会は過去に誰かがどこかで発案したアイデアの蓄積でつくられてきたと言っても過言ではありません。世の中には誰も思いも及ばなかったような切り口や視点からアイデアを発想する人たちがいます。こうした「アイデアマン」たちの数は決して多くはありませんが、よい仕事をしてゆく中でとても大切な存在です。
彼らのように「斬新な発想力」を持った人たちの思考には共通してみられる特徴があります。それは「論理の限界を知っている」ということです。論理は矛盾を許容しないという限界を持っているように私は思います。なので、記憶や経験(過去のデータ)の延長線上に「筋道立って」導き出される答えしか生み出してはくれないのです。「論理的」に対義する語は「感性的」や「感覚的」といった言葉かと思いますが、感性は過去のデータをその中に内包していながらも直感やひらめきといった形でその人に答えを教えてくれるものです。しかし、感性による直感から導き出された答えはその根拠が当人からしても希薄なものが多く、ナイーブなものです。当人がそれを「こんなアイデア…」と否定してしまった時点で簡単に消えてしまうのです。
人に無理に納得してもらおうとしたり、自分に少しでも不安があるような時に多くの人は今あるアイデアの善し悪しを「論理的に正しいかどうか」という視点から見てしまいがちです。この作業をしてしまうことで自分の中で生まれた斬新なアイデアを発案する前に自らそうと気付かぬうちに否定し消去してしまっていることが多いのです。
状況を飛躍的に進歩させるような斬新なアイデアは、当人の心の深いところから生まれるもののように私は思っています。そして、そのアイデアを意識でキャッチし、発案するに至るまでは自分自身に対する深い信頼が必要です。人の心は情緒や空気といった論理的ではないものがその根底をなしているように思います。そしてこの心こそがアイデアの源泉となるものなのです。
自分が論理では説明のつかぬもっと深い部分で些細な空気の変化や情緒をも感じ取れていること、そのことを自ら肯定し、受け入れてあげることが大切なのだと思います。そうした自分の「非論理的な部分」を受け入れてあげることで、ようやく思考はスムーズに静かに回転し始めます。そうした状態で見る世界は刺激に満ち溢れ、様々なものの目に見えぬつながりや広がりを感じさせてくれるものです。
こうした発想の訓練としては、瞑想が一番わかりやすいでしょうか。かのスティーブジョブズも若くに禅を学び、瞑想を日課としていたことが有名ですが、彼のあの斬新な発想力はおそらくそうした深く静かな瞑想の時間があったからこそ生まれてきたものだと思います。
…ここまで論理を否定するような調子で感性の重要性を書いてきましたが、実は論理も大切なのです。アイデアを発想する段階では感性や感覚を働かせてあまり論理的になりすぎないことが必要ですが、その生まれたアイデアを論理展開し、戦略や計画に落とし込んでゆく必要があるからです。そうしなければチームや社員の人がそのアイデアを共有できず、良いアイデアは良いアイデアのまま実現されること無くいずれ消えていってしまいます。(図解参照)
発想する際の感性、実行に移す段階での論理性、そのバランスが極めて重要ではないかと私は思っています。