死生観の変化
近隣で人類に起きた革命といえば、農業革命、産業革命、そしていまその真っ只中にある知識革命が挙げられますが、意外と意識されていないのが、抗生物質革命ではないかと思います。抗生物質革命というのは私が勝手に作り上げた言葉ですから意識されていないのは当然といえば当然ですが、この抗生物質の誕生が人類に与えた影響は「革命」といって良いほど大きな出来事であると私は思うのです。抗生物質は第二次世界大戦後の1947年ごろから急速に普及しました。この特効薬の発明と普及によって、人々の平均寿命は飛躍的に伸びたのです。その推移を調べてみると、100年前の平均寿命は42歳となっているのに対し、今現在の日本人男性の平均寿命は80歳ですから、たった100年の間に人間の寿命が約2倍にも延びたことになります。人類が誕生してから500万年が経過していることを考えれば、たった100年で寿命が約2倍になったということが、いかに革命的な出来事であったかを理解できるのではないでしょうか。
寿命が伸びたことによる社会への影響は、社会構造の変化、年金問題、社会保障費問題など、計り知れないほど大きいものです。しかし私には、これ以上に大きな影響であり、またこれを変えることさえできれば他の問題は一掃されるのではないかと思っていることがあります。それは、「死生観の変化」です。戦前の人たちにとっての「死」とは、「いつ死ぬかわからない」という日常にある身近な感覚であったと思います。結核にかかったり流行性の風邪にかかれば、年齢に関係なく突如死んでしまう可能性が高かったからです。しかし、現代の人々にとっての「死」とは、「いつかやってくるもの」というような、どこか自分とは関係のないような感覚になってしまっているのではないでしょうか。
以前の記事で、「1つの事象には2つの側面を内包している」と書きました(相対世界と絶対世界/腑に落ちることと、理について)。まさに命も、生と死という2つの側面を持っているものです。生がなければ死はありませんし、死がなければ生はありません。ですから、死を身近に感じることができればできるほど、生は際立ってくるのです。たとえば、戦国時代の平均寿命は、20歳代だったと言われています。そうした時代において、人々はいつも自分の死を意識して生きていました。その意味で、現代の人々よりもはるかに生きることの喜び、楽しみ、素晴らしさを実感していたのかも知れません。それと同時に毎日朝がくることへの感謝、自然への感謝、家族や友人、自分を生んでくれた両親への感謝など、目に映るすべての景色が現代人よりもはるかに美しく、そして、愛おしく思えたのではないかと思うのです。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式でスピーチしたとき、次のように語っています。「17歳のとき次のような一節を読んだ。『毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる』。その言葉は私にとって印象的だった。以来33年間毎朝鏡を見て自問している。『もしも今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか?』そしてその答えがNOである日が何日も続く時は、何かを変える必要を悟った」
人はみな、自分がこの世に生まれた証として、何かを残したいという気持ちを潜在的に思っているのではないかと思います。しかし、死が遠く彼方にあればあるほど、生を当たり前に感じてしまい、その気持ちを忘れてしまいがちです。実際、それは私たちが普段している仕事の中でも実感することができます。納期が長ければ大きな仕事ができるわけではありませんし、残業をたくさんすれば大きな仕事ができるわけでもありません。大切なのは、その時間を大切に活かすことではないでしょうか。スティーブジョブズのように、毎日を人生最後の日であるかのように生きることができれば、死期までの時間が多い少ないに関係なく、この世に大きな何かを残すことができるのかも知れません。