主観的価値が高まる時代
YouTube がなぜ成長できたのか。それは、ユーチューバーが自らの「主観」を語るからではないか。たとえばダイエットにしろ、筋トレにしろ、科学的かつ客観的に「正しい方法」があるとすれば、その解説動画は各ジャンルに一つだけあれば十分だ。でも、人々は正しさだけを求めているわけではない。「科学的にはこうしたほうがいいと言われているけど、あの人はどうやっているのだろう」というように、人それぞれのやり方や考え方が気になる。そういうニーズがあるから、一つのジャンルの中にたくさんのユーチューバーが生まれ、YouTube は成長していったのだ。
こうした、一つのジャンルにたくさんのプレイヤーが共存する現象は、他の分野でも見られる。たとえば、コンビニがそうだ。コンビニに行くと、ホッチキスやハサミは1種類しか置いてないことが多い。しかし、ワインやタバコになると、たくさんの種類の商品が置いてある。なぜか。それは、ホッチキスやハサミは機能さえ満たしていればそれでよいから、種類が少なくても誰も文句は言わない。だが、ワインやタバコは消費者の主観によって好みが分かれるから、色々な種類の商品が用意されている。
つまり、「主観」を介在させると、1つの市場やジャンル内で数多くのプレイヤーが共存できるようになる。これは、YouTube の世界においても同様だ。主観の介在が、1つのジャンルにたくさんのユーチューバーが共存できる大きな要因となっている。
私は以前から、時代が物質文明から精神文明へと移行しているということを感じており、こういったこともその現象の一つだと思う。現代は、昔のように物資が不足していた時代とは違う。だから、人々は客観的で物質的な価値だけを求めるのではなく、人の心や感情といった主観的な価値にも関心を持つようになった。この変化に気づいた企業たちは、独自の世界観やストーリーを基盤としたブランド戦略を構築している。先日、本屋に行ったときにブランディングの本がたくさんあったのは、そういう理由だと思う。
しかし、私が身を置くモノづくりの業界においては、その考え方があまり進んでいないように思う。高い品質や機能性といった客観的価値を追求することは大切ではあるのだが、そればかりでは、「日本らしさ」を失ってしまう。それらに感性や情緒性といった主観的価値を付加していくことが、メイドインジャパンのブランドを育ててきた、日本のものづくりのあるべき姿ではないか。
目に見える客観的価値を追求し、勝者がわずかに限定される市場に身を置くか、それとも、目に見えない主観的価値を追求し、複数企業の共存が許される市場に身を置くか。この選択が、私たちの未来を大きく左右するのではないだろうか。