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理性から感性へ ~日本的空間の示す転換~

私はずっと前から、時代は理性から感性へと移行していくと感じてきました。その理由を、チームラボ代表・猪子寿之さんがTEDで語った「日本文化と空間デザイン」の話を通して考えてみたいと思います。

日本文化と空間デザイン~超主観空間~ | 猪子 寿之 | TEDxFukuoka

この講演はもう10年以上前のものですが、彼が語った内容は今なお深い示唆を与えてくれます。彼はそこで、西洋と日本では「空間の見方」が根本的に異なると述べています。

西洋では、世界をひとつの視点から捉える「パースペクティブ(遠近法)」が発達しました。画面の中には必ず「見る主体」が存在し、その視点から見た世界を描く。この構造の中では、世界はつねに「自分の外側」にあります。自分と世界、自分と他者、自分と自然。すべてが分離され、客観的に観察・制御される対象として置かれる。それは、科学や技術、そして近代的理性の発展を支えてきた大きな基盤でもありました。

一方で、昔の日本人の空間認識はまったく違いました。日本画には明確な視点がなく、画面の中に複数の時間と空間が同時に存在しています。それは「レイヤー状の世界」ともいえる構造で、そこでは「見る者」と「見られるもの」が溶け合っています。つまり、自分と世界のあいだに境界線が存在しない。人間は自然の中の一部であり、世界そのものと共に息づく存在だったのです。

この違いは、建築を見ても明らかです。西洋建築は壁によって外と内を明確に分け、強固な構造体としての「箱」を作ります。一方、日本建築では、外と内の境界はきわめて曖昧です。柱と梁で支えられた開放的な空間に、障子や縁側といった可動的な仕切りが置かれ、風や光や音が自然に通り抜けていく。建物は「閉じるもの」ではなく、「自然とつながるための場」として設計されているのです。

このような空間観の違いは、単なるデザインや技術の差ではなく、人間の世界の認識構造そのものの違いを表しています。西洋的な空間認識は、「分ける」ことを前提にしています。そこでは主体と客体が分離され、世界は「自分とは別のもの」として管理される。その意識が進むと、社会のあらゆる領域で「分断」と「支配」が強化されていきます。自然は制御すべき対象となり、経済は競争を前提に動き、人間関係も利害で切り分けられていく。こうして生まれたのが、いま私たちが生きている「理性の文明」です。

しかし、その理性の文明はすでに限界を迎えつつあります。AIが象徴するように、理性や分析といった知的領域は、すでに機械が担える時代になりました。もはや「論理で正しいこと」を積み上げるだけでは、人間社会を前に進めることはできません。理性の支配は、豊かさを生むどころか、むしろ人の心を閉ざし、世界を分断する方向へと進んでしまったのです。

では、これからの時代に必要なものは何か。それは「感性」です。感性とは、論理や分析を超えて、世界とのつながりを感じ取る力。自分と他者、自分と自然のあいだにある微妙な境界を、曖昧なまま受け入れる力です。それは、かつての日本人が持っていた空間認識のように、自分の内と外がゆるやかに溶け合う世界観の上に成り立っています。

私たちがいま必要としているのは、「正しさ」で世界を区切ることではなく、「感じること」で世界を結び直すこと。理性が築いた「壁の文明」から、感性が紡ぐ「風の文明」へ。

私たちは、その大きな転換点に立っているのだと思います。


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