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理性から感性へ ~日本的空間の示す転換~

私はずっと前から、時代は理性から感性へと移行していくと感じてきました。その理由を、チームラボ代表の猪子寿之さんがTEDで語っていた「日本文化と空間デザイン」の話を通して語ってみたいと思います。

これはもう10年以上前の動画ですが、彼はこの中で、西洋と日本では「空間の見方」が根本的に異なると語っています。西洋の空間は一点透視法、つまりパースペクティブの論理でできており、そこではひとつの視点が世界を整理します。観察者と対象が分かれ、世界は分析され、構造化される。これは、理性が生み出した「要素還元的アプローチ」といえます。西洋の建築や庭園が正面性を重んじ、まっすぐな動線を持つのもそのためです。空間は「見るためのもの」であり、秩序によって支配されている。

一方、日本の空間はまったく違います。日本画や庭園には固定された視点がなく、空間は多層的な「レイヤー」として構成されています。中心がなく、どこから見ても成り立つ。猪子さんはこれを「超主観空間」と呼びました。そこでは、登場人物の視点に入り込んでも、風景は崩れません。世界と自分が地続きであり、“見ること”そのものが空間をつくるのです。

この考え方は、私が言う「構成論的アプローチ」に非常に近いものです。世界は、あらかじめ存在しているのではなく、関係の中で立ち上がる。客観的に整理された構造ではなく、主観が交差する関係の網の目として現れる。日本の庭が“借景”という外の自然をも取り込み、人工と自然を分けないのも、まさにその構造的感性の現れでしょう。

興味深いのは、こうした「空間の感じ方」が、現代のコンテンツにも受け継がれていることです。猪子さんはその例として「スーパーマリオ」を挙げました。マリオは世界で初めて「横スクロールアクション」という形式を生み出しました。西洋のゲームの多くが「正面視点」で構築されていたのに対し、マリオは常に「横へ」動く。プレイヤーはマリオとともに、レイヤーで構成された世界を横に駆け抜ける。それはまるで、日本の空間そのものが「遊びの形式」に転写されたような感覚です。

京都という、日本的空間に満ちた環境で生まれたマリオが、世界中の人々を魅了したのは偶然ではないと思います。日本人が長い時間をかけて培ってきた「横方向の空間認識」や「共鳴的な感性」が、ゲームという新しい形式の中で自然に息づいていたのです。つまり、理性で設計されたルールの上に、感性で構築された体験が重なっている。マリオの「気持ちよさ」の源泉は、そこにあるように思います。

こうして見ていくと、理性と感性の関係は、単なる対立ではありません。理性が築いた秩序の上で、感性が新しい秩序を描いていく。西洋のパースペクティブが世界を「整理」したなら、日本の超主観空間は世界を「構成」した。そして現代においては、その構成的な感性が、再び世界の創造力の中心に戻りつつあるのではないでしょうか。

理性が世界を理解する時代から、感性が世界を構成する時代へ。空間の見方ひとつをとっても、私たちはその大きな転換点の只中にいるように思います。


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