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「感じること」を取り戻す社会へ

私は、いまの社会がどこか歪んで見える理由は、とてもシンプルなことだと思っています。それは、私たちがいつの間にか 「感じること」を手放してしまったからです。

理性的に物事を見る人が増え、世界を「どう感じるか」より「どう定義されているか」で理解するのが当たり前になった。安全だと言われれば安全、価値があると言われれば価値がある・・。そんな「与えられた意味」のほうが優先されるようになった。人々は次第に「感じること」を億劫に思い、「いいね」の数やエビデンスへと身を預けてしまう。気づけば、自分の内側の声よりも、外側のラベルのほうが強く響く社会へと変わっていった。それが社会をこんなにも冷たく、奥行きを失った世界へと変えてしまったのです。

「効率」「生産性」「タイパ」「コスパ」・・。まるで人間が機械の部品であるかのように扱われる言葉ばかりが価値の中心に座っている。仕事は「楽しい創造」ではなく「最小化すべき負担」になり、生活は「感じる場」ではなく「管理するタスク」に変わった。こうして世界から「体温」が消えていった。

ところで、人はなぜ生きるのでしょうか。私は、人の生きる意味は、宇宙の存在理由と同じだと思っています。宇宙の存在理由は「自分を知りたい」「自分を認識したい」「自分が何者か知りたい」という意思一つで、ここまで多様な存在を生み出してきました。ですから、宇宙の本質は感性なのです。その延長線上に人間という存在が生まれたのなら、人間もまた、感性を通して生きているのが本来の姿です。

だから、理性だけで説明できる生き方をしてしまったら、そこに「生きる意味」など生まれません。それではただの「反応し続ける物質」と同じです。

ところが現代社会は、見えるもの、数値化できるもの、ラベル化できるものだけを価値とし、大切なものほど「当たり前」になって見えなくなる構造を作ってしまった。

社会を土台で支えている仕事、農林水産の人々、自然を守る人々、生活インフラの担い手たち。彼らこそが海(土台)であり、私たちという魚(存在)が生かされている場所なのに、その土台を感じる感性が薄れてしまった。

その一方で、お金という数字で価値が即座に可視化される領域にいる人々、たとえば投資家や金融業のような仕事は、なぜか過剰に高く評価されやすい。価値が「見えやすい」というだけで尊重され、価値の源泉を支える人々が「見えにくい」というだけで軽んじられる。このアンバランスこそが、価値の重心が根底からズレてしまった現代社会の象徴なのだと思います。

しかし私は、ここから先は違う流れが始まると感じています。理性の価値観はすでに過剰に膨らみ、その限界を示し始めている。数字で説明し、合理で武装する考え方は、もはや未来を生み出せないところまで来ている。これは衰退ではなく「兆し」です。感性が重心を取り戻す前触れです。

これからの社会では、「どう定義されているか」ではなく 「自分がどう感じているか」 が基準になっていくでしょう。数字ではなく、経験。ラベルではなく、関係性。効率ではなく、創発。

そして、本当に価値ある人が、本当に価値ある人として評価される時代が始まる。文化が再び大切にされ、暮らしの土台にあるものに光が当たり、人が「感じること」を中心にして生きる社会が戻ってくる。

文化とは、人間の感性が形をとったものです。それは生き方であり、佇まいであり、日々の所作に宿る温度そのものです。この文化の復権こそ、感性の時代の扉を開く鍵になるでしょう。

宇宙が「自らを知ろうとする流れ」に立ち返るなら、人類もまた、そこへ戻っていくはずです。私たちはいま、その転換点にいるのだと思います。


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